「経済的観点だけから見たら、障害者切り捨ては理にかなっている」

ブログ市長:「命刈る作業を」と発言 障害者問題を念頭に
経済に詳しい人が福祉について話そうとするとこういう勘違いが起こる。
福祉の充実には経済発展が必須というのは異論を挟まない。障害者でも働ける人は働いて、稼げる人には稼いでもらって、その揚がりで生まれた余裕が福祉の原資になるのである。
※参考「本を出してもえらくない」後日談 - 定型発達者もつらい…かな?より
ここで起こった勘違いは、福祉を経済(生産)性の視点で見ようとすることだ。
「需要か供給か」という不毛な論争 - 池田信夫blogのコメント12・13、

それなら老人福祉も非生産的です。引退した老人は(消費はするものの)将来にわたって生産に関わらないからです。こどもへの投資はこれからの労働力確保という意味がありますが、老人福祉には何の経済的意味もありません。
経済的観点だけから見たら、姨捨山の伝説は理に適っていると思います。
(中略)
つまり日本では老人福祉の切捨てが、長期的には生産的投資を増やす道だと思います。

市長とコメント子は同じ種類の勘違いをしているのである。
企業は従業員をリストラできるが、国は国民をリストラできないのである。社会も老人をリストラできない。(リストラしていいってことなら、若い人が老人を殺しても無罪あるいは至って軽い刑で釈放されるはずだが、そんなわけがない。)